僕がツィッギーだった頃

魚は頭から腐る。靴下は踵から穴開く。

三国志Ⅸ日記〜サージェントペパーズロンリーハーツクラブ官渡〜

196年秋。


負傷兵の回復を待ち、
北海の戦いで劉備軍から奪った兵を集め、
平原は13万の軍団に膨れ上がった。


袁紹領である西のギョウと北の南皮。
どちらも兵の数は2万足らず。
孫堅は人材不足だが、袁紹は兵力不足だ。


さて、ギョウと南皮のどちらに攻め込むかだが
ここは迷わずに南皮を選択。
ギョウはまだその先に壷関と上党が控えているし、
なんといっても南皮は内政がパーフェクトで
袁紹陣営最大の財源&穀倉となっているからだ。


ここのところ重用している張コウ(シュンガイ)に
孟達太史慈・程イクをつけ、陣形セイランに兵法「連射」の
4万5千で攻め込ませる。


劉備滅亡後、袁紹に拾われてギョウにいた
達磨に根を張ったヒゲこと関羽
5千の兵で南皮に加勢しようと出てくるが、
そんなものは焼け石に水。焼け石にヒゲ。
多少の抵抗を見せるものの、
程イクの「混乱」が発動してからは一方的な戦いとなり、
平原から皇帝自らの「激励」で士気も大いに上がり、
袁紹陣営の心臓部ともいえる南皮はほどなく陥落した。


場所は変わって長江の南の柴桑。
山越族の襲撃によって九江港と合わせて
12〜14万いた兵を半数に減らされ、
そのうえ烏林港の攻防戦のために、
駐屯していた全ての武将
(孫堅・周ユ・孫権韓当・阿会ナン)が出払い、
2万5千ほどの兵だけが残されている状態になっている。
烏林の攻防で周ユは捕虜となり、
釈放してやった孫堅は陸口港に一人ぼっち。
援軍として烏林に向かっていた孫権韓当・阿会ナンは
まだ柴桑に戻ってくるには時間がかかる。


というわけで、ろ江の黄忠に命じて
駐屯兵5千足らずの九江港にちょっかいを出させる。
ちょっかいといっても兵力は5万。しかも闘艦。
さらに江夏に左遷していた夏候惇に
1万5千を率いてろ江に入り後方支援の体制をとらせ、
マツ陵の内政と許チョに数の概念を教えるだけで
大した軍功を上げる機会がなかった郭嘉
2万5千の兵を与え、ハ陽港にいる黄蓋
3万の兵を牽制するために長江を上らせる。


予想通りハ陽から援軍は出たものの、
黄忠隊が九江に取り付いてから出陣するという愚鈍さ。
ジジイの「連ド」も決まってあっさり九江港は魏軍の手に落ち、
黄蓋虞翻は船をハ陽湖に浮かべただけで撤退。


ちょっかいでは済まなくなってしまったので、
惇兄も3万の兵と共に渡河させ郭嘉の収容を待ち、
ヒゲムラサキが柴桑に帰ってきた所を攻撃する構えをとらせる。
ハ陽港には会稽・建安から攻め込んで、
救援に向かえないようにする予定。




劉エンが漢中に5万の兵を集結させ、
西城をおびやかそうという雰囲気なので、
西城の兵を厚くし、西城の大将李典に
楽進張遼が各地で大活躍しているぞと吹き込み、
張繍様が奉じられている街亭櫓にも7万の兵を集め、
天水に攻め込んで生意気なことができないようにしてやる!
(無理に三面作戦を取って緊張感を保とうとしているんです)