僕がツィッギーだった頃

魚は頭から腐る。靴下は踵から穴開く。

三国志Ⅸ日記〜アリババと40人の孟徳〜

馬鉄隊を安定からウ禁隊が迎え撃って退け、
西平の成宜隊は街亭櫓の張繍様と韓遂が「突撃」で突撃。


遅れてやってきた馬騰隊は
引き付けておいて街亭櫓・ビ砦・安定から
ジェットストリームアタック。またはトリプラー。
馬騰馬超・馬休、全員仲良く捕縛。


西城で内政に腐心していた文若(ジュンイク)を
街亭櫓に移して計略面でも備えを万全にしたところで
劉エンが天水から投石1万5千で安定に出撃。出遅れすぎ。
街亭の張繍韓遂・文若がアッサリと撃破。
気がつけば街亭の兵が4万5千ほどに膨れ上がった。


馬騰馬超は釈放したが、
「ダメもと」で登用を試みた馬休が登用成功。
父ちゃん兄ちゃんを攻める時に使っちゃうけどいいの?




風雲急を告げている平原。
カクや張コウ(子綱)(二張の片割れ)による
再三の嫌がらせにもめげず、袁紹劉備を討ち滅ぼす。
結局劉備は一度も戦争で勝たなかったんじゃないか?


そんな感慨はさておき、
すでに東阿港から高唐港を奪取して
曹仁らを配しておいたので、
待っていましたとばかりに平原に攻め込むことにする。


安徳港からの張コウ(シュンガイ)のセイラン隊を主力として
合計8万以上でボロボロの平原を大人気なく蹂躙。
2万5千ぐらいの負傷兵をゲット。



場所は変わって江陵。
ジュンユウが中心となって頑張ってくれたおかげで
内政もだいぶ充実してきた。ので、長江の南に目を向ける。


柴桑に兵力を集中させすぎているため
武陵・零陵・長沙・桂陽・交シはどこも
1万足らずの防備しかないのでこれはチャンス。
しかも孫堅陣営は人材不足なので
攻め込んでも効果的な救援行動はできないはず。
わざわざろ江に曹操が留まり、
6万5千の兵で柴桑に圧力をかけていた効果が!


多少勇み足な気もするが、
夏候淵に4万の兵を与えて江津港から対岸の公安港に渡らせ、
2千ほどの兵しかいない武陵に攻め込ませる。
長沙から5千ほどの援軍が出たが、偽報で追い返してその間に占領完了。



さらに場所が変わって、平和ボケ気味の会稽。
内政も完了したし山越族に流言を仕掛けるのにも飽きてきたので、
ハ陽港で3万の兵と共にこちらの隙をうかがっている
黄蓋虞翻を挑発してやろうと、
李厳に命じて建安に砦を作らせる。
それを阻止しようと黄蓋が出てきたが、
張遼が4万の兵で返り討ちにして無事砦は完成。
ゆくゆくはこの砦を拠点として
山越のノータリンどもも捻じ伏せてやる。




196年夏。洛陽の献帝が呼び出しをしてきた。


「朕も皇帝らしく権勢を振るって国を動かしたいキョウ。
 朕はもうそれができる歳だキョウ。」


とか生意気なことを言い出すんじゃないかと思って、
鼻をへし折ってやるか剣の柄でわき腹を突いてやるかと
黙らせる方法を考えながら出向くと、


禅譲するキョウ。今日からアンタが皇帝だキョウ。」


とのこと。3回断ってからとか祭壇を設けてからとか
そんなことをする間もなくアッサリ皇帝に就任。
係長になるのだってこんなに簡単じゃないだろ普通は。


ああ、私は周の武王になりたかった。
伯夷・叔斉が生きていたら簒奪者である私に向かってこう言うだろう。
「魏の粟は食らわず。」と。
バーカ知るもんか。お前らは山でワラビでも食ってろ!皇帝万歳。



そんなわけでめでたく魏王朝成立。
しかし、朝廷に歯向かう逆賊どもはまだ多い。
天子の威光を東西万里にあまねく示さねば。


とりあえず目下最大の敵である袁紹に皇帝自ら当たるべく、
ろ江を黄忠に任せ、平原に赴く。
野に下ったり捕虜となったりしていた
劉備陣営の将を登用して、
劉備張飛・ビ竺・伊籍・王朗、
そして公孫サンの一派などを獲得。
その傍ら広く人材探索を行い
徐盛・朱桓太史慈・ハンショウ・歩シツなど、
本来孫堅に召抱えられるべき人材を獲得。
孫堅陣営の人材不足は明らかに曹操のせい。


そんな折、
孫堅が息子の「衆道男風ご学友」である美周郎をつれ、
柴桑から2万5千の兵を率いて江陵の南東にある
烏林港に向かってくる。


烏林港はどうでもいいけれど、
これから零陵や長沙に兵を進める上で
そんなところに居座られると何かと邪魔なので
速やかに討伐することにする。
というか文台君、君の最大の拠点である柴桑に
僕がさんざん流言を行った山越族が攻めてきてるけどそれはいいの?
袁紹は帯方の兵4万を烏丸に壊滅させられて、
劉エンは南蛮の半獣達に雲南ドムドーラばりの廃墟に変えられ、
今はうちにいる劉備も、
倭とかいう辺境の民の猛攻が発端で滅びたけど、
それの二の舞三の舞になるよ?


そんな皇帝の優しいアドバイス聞く耳も持たず
烏林港を占拠した赤頭巾ちゃん。
徴兵で6万まで兵を増やした江陵から
甘寧のセイラン部隊2万を送り込み、
呂布の錐行部隊2万をそれに続かせる。


すると何を思ったか、
孫堅陣営は山越族の攻撃を受けている
柴桑とその横の九江港から、
孫権隊・韓当隊・阿会ナン隊それぞれ1万を
救援として送り込んできた。どうなってもいいのか?


打って出てきた孫堅隊1万5千を
「走射」や「連射」で叩き潰し、
救援隊の先鋒である阿会ナンに「偽報」を仕掛け、
救援が届く前に烏林港を奪回する。
どうでもいいけど阿会ナンの年齢が7歳になっていることに
今日はじめて気がついた。
まだ一人じゃ電車も満足に乗れないようなガキじゃないか。




手薄になった柴桑をどうするか、
そして平原の北の南皮をどう攻略するか、
そして捕虜にした周ユの顔にどんな落書きをしてやるか検討中。