僕がツィッギーだった頃

魚は頭から腐る。靴下は踵から穴開く。

三国志Ⅸ日記〜愛されちゃって孟徳〜

戦争また戦争である。



195秋、満を持して江陵を攻撃。


「走射」4人に「混乱」の呂布セイラン隊4万と
「連射」4人に「混乱」の夏候淵セイラン隊4万で
3万弱の江陵を総攻撃。
迎撃部隊が出てくるが襄陽からの
「撹乱」で混乱させそこに呂布隊の走射で退ける。
そして江陵は簡単に攻略。


江陵を落とすと同時に永安から劉エン軍1万5千が
襄陽の隣の隆中港に向けて出陣してくる。
混乱に乗じて他人の領地を蚕食しようなどという
根性の曲がった行いをこの私が許すと思うか!
というか襄陽には2万5千の兵を残してあるから
蚕食っていうか向こう見ずだよ!


劉エン軍は定石通り十分引き付けてから
一気に叩き潰すのでいいとして、青州の事態が急転。
北海の劉備軍に対し倭が4万の本気攻撃を開始したのだ!
チクチクチクチクと「流言」を繰り返した成果が出たぜ!


劉備は北平に続いて襄平をも袁紹に奪われ
残す領地は北海と平原だけとなっていたので、
このままでいくと近い内に袁紹に飲み込まれてしまう。
曹操陣営としては両軍が拮抗してお互いの力を
削りあっている状態が望ましいので
倭に劉備軍を攻撃されては困るのだか、
北海には8万、その隣の臨シ港には4万の兵が駐留し
長らく目の上のタンコブ的存在になっていたので
これを壊滅させる千載一遇のチャンスでもある。


混乱に乗じて劉備の領地を蚕食するぜ!
それがイケてる君主のスタイルだもの!


江陵攻めの後方支援軍としての役目を終え、
長安馬騰軍にでも当たらせようかとしていた夏候惇や
ボク陽の守りを固めていた楽進
その他の任地を離れても支障がないと思われる将を
急遽下ヒに集合させて
陳留・小ハイ・寿春で遊ばせていた予備兵3万も呼び寄せる。


手始めに臨シ港の隣の無人東武港に
夏候惇隊4万5千を進軍させる。抵抗もなく無事占領。
そしてロウ邪砦に楽進4万を入れ、狙うは臨シ港。
下ヒでは張コウ(シュンガイ)が3万5千で援護の構え。


北海は倭軍に粘られて8万の兵がみるみるうちに4万に。
関羽張飛が平原にいるとはいえ
ホントに戦争下手だなあのムシロ売りは。
この状態では臨シ港を攻撃されても援軍は送れまい!


楽進隊4万・夏候惇隊4万5千がセイランで臨シに進軍。
迎撃部隊に備えて張コウも錐行3万で出陣。
臨シの大将ろ植が2万5千で打って出てくる。
ろ植は張コウに任せて臨シに向かえ!討ち滅ぼせ!


「夏候惇が命令を無視して攻撃を開始!」
楽進が命令を無視して攻撃を開始!」


舐めてんのか?
股肱の将なら多少のお茶目は許されると思ってんの?
この戦が終わったらおまえら1週間おやつ抜きだ!


「夏候惇が敵将公孫範に一騎討ちを挑みました。」


戦争はおまえ一人でしてるんじゃないぞ!
もっと役割とか協力とか、大事なことあるだろ!
小学校で教わったろ!


「夏候惇が公孫範に勝利!」
「続いて出てきた公孫続も二合で圧勝!公孫続死亡!」


さすが惇兄ぃ。この戦はあんたのものだ。
もう好きにやっちゃってよ。
僕はろ江で巡察に明け暮れてるからさ。


惇兄の活躍によりろ植隊を討ち、
大将を捕らえられた臨シも陥落。


と、北海に目を向けると、
倭の4万に8万の劉備軍が潰されかかっていた。
倭軍、劉備軍共に残り8千。
倭軍の「治療」や「妖術」の力のせいか
劉備の弱さのせいかわからないが、とにかく攻撃。
惇兄に4万で攻め込ませ、
2ヶ月前まで脅威であった北海を占領。
劉備には逃げられたが公孫サンを捕縛。
倭軍は徒歩で颯爽と帰って行った。かっこいいぜあんたら。


曹操は公になり、196年春には王に奉じられる。
が、戦争はなお続く。


馬騰がみたび安定に向けて兵を出し、
平原に逃げ込んだ劉備軍が張飛隊を先頭にして
3部隊総勢4万で東阿港に攻め込んでくる。


平原には1万8千しか兵が残らない計算になり、
当然のように北の南皮から袁紹
自ら1万5千の兵を率いてセイランで平原に襲いかかり、
同時に臨シ港の対岸にある安徳港から
駐屯していた1万8千の兵全てを引き連れて
審配隊がこれもセイランで平原に。劉備軍は風前の灯!


空になった安徳港に楽進を進軍させ、
ずっとためらっていたの黄河以北進出をアッサリ果たす。


そして袁紹隊と審配隊に北海や安徳港から
「撹乱」をかけ、混戦になるように仕向ける。
あわよくばギリギリで劉備袁紹軍を退けたところを
安徳港から攻め込む腹積もり。
今のうちに東阿港に攻め込んできた部隊を蹴散らして
東阿港からも渡河できるようにしたい。


安定に攻めてきている馬騰軍だが、
武威から出てきた馬騰馬超・馬休のバカ親子隊を
偽報で足止めして馬鉄軍1万を先行させ
西平からの1万2千は街亭砦の張繍様にお任せする。


ちなみに最北東の帯方港では、
なぜか袁紹軍が4万もの兵を留めていたのだが、
そこに向かって烏丸の4万と倭の1万が襲い掛かり、
最南西の雲南の劉エン軍6万には
南蛮の4万が攻め込んでいる。まさに乱世!
(どうでもいいけどまとめて書くと疲れる!)